

困難を越えるたび変化を重ね、
磨き上げた品質
工業用刃物加工で培った技能と品質で、
お客様にとって“一番”の存在を目指す
-
株式会社小森精機
- 機械部品、金型部品、治工具・ゲージ設計製作、工業用刃物、精密組付
服部直樹
- 都道府県
- 岐阜県
- 事業内容
- 機械部品、金型部品、治工具・ゲージ設計製作、工業用刃物、精密組付
- 会社名
- 株式会社小森精機
- 代表者名
- 服部直樹
- 所在地
-
〒504-0927
岐阜県各務原市上戸町7丁目1番11
- 電話番号
- 058-382-4181
- ホームページ
Factory Stories
図面を形にする、少量多品種の精密加工
株式会社小森精機は金属製品の精密加工をおこなっている。
顧客から預かった図面をもとに、高精度・高難易度・高硬度の部品を一つひとつ形にしていく。
現在の主力は少量多品種の単品加工。ロット数は1個からで、多くても100個ほどだという。
「リピート性のある製品は35%くらいで、ほとんどが単発です」
そう話すのは、三代目社長の服部直樹だ。
「実は、25年くらい前までは量産の加工もしていたんですよ」
御用聞きからはじまった、三人のモノづくり
1972年に小森精機を創業したのは、直樹の母方の祖父・小森弘だった。
当時は困りごとを聞き、必要なものを仕入れて届ける「御用聞き」だったという。
その中で受けた加工の相談に対応するため、小さな貸工場で加工をはじめたのだ。
この創業期を支えたのは、経営を担った小森弘、小森の親族で技術を担った小澤、そして営業を担い、後に社長を継ぐことになる、直樹の父・服部哲夫だった。
「当時、父はまだ母と結婚していなかったので、純粋な第三者として入った最初の社員だったと思います」
加工の出発点となったのは、小澤が得意としていた研削加工を生かせる工業用刃物だった。はじめは支給された製品に刃を付けて納品する形だったという。
その後、前加工もできるよう、フライス盤やボール盤などの加工機を増やして事業の幅を広げていった。
ワイヤーハーネス用刃物で磨かれた、精度と機能
大きな転機となったのが、自動車などに使われる電線、ワイヤーハーネス用刃物の受注だった。
半円の刃物を二枚組み合わせて真円にし、銅線を残したまま周囲の被膜だけを切る構造で、1/100ミリ単位のずれが不良につながる。
「刃物は薄いので、焼き入れをすれば大きく歪みます。その歪みをどう矯正し、精度を保つか。その中で磨かれたのが、歪み取りの技術です」
どこから削るか、どこを押さえるか。歪み取りには、機械だけでは決めきれない職人の技能が必要になる。これこそが、今も受け継がれる小森精機の『肝』だ。
「精度だけでなく刃のつけ方を工夫したことで機能も上がって、他社の類似品よりショット数が1.8倍以上増えて評判になったんです」
この難しい刃物への挑戦が、精度、歪み取り、機能など、小森精機のモノづくりを磨いていったのだ。
量産依存の危機から、少量多品種に応える体制へ
そうして磨き上げた精度や技術を背景に、小森精機は量産でも大きく成長していった。
高精度な治具で顧客先の不良率を大きく下げたことが評価され、1990年代には半導体製造装置に関わる治具加工が売上の7〜8割を占めるまでになった。当時の売上は、現在の約4倍に達していたという。
1998年、服部哲夫が社長に就任した直後、ITバブルが崩壊。売上の大半を占めていた主要顧客からの仕事が止まり、会社は大きな危機に直面した。
「売上が7割依存していると、会社が回らないですよね」
社長になったばかりの哲夫は従業員の半数をリストラする苦渋の決断をした。 そして、量産から少量多品種へ大きく舵を切ったのだ。
そこから小森精機は、他社が断るような試作品や難加工品を引き受けるようになった。
量産から少量多品種への転換に合わせて、検査体制も大きく変えた。 同じ製品を大量につくる量産とは異なり、単品や小ロットでは、抜き取り検査だけではなく全数・全箇所検査が必要になるからだ。
そこで重視したのが、加工よりも一段高い精度で測る力だった。
「加工精度が1/1,000なら、測定が同じレベルだと、正しい値がわかりません。だから検査では1/10,000の精度が必要になるんです」
加工したものが本当に狙い通りに仕上がっているのか。その位置が1ミクロンの幅の中のどこにあるのか。それを判断できてはじめて品質を保証できるのだ。
そのために小森精機では、20℃±0.5℃に保たれた恒温検査室を整え、加工と測定を両輪で磨いてきた。
量産依存の危機を越え、少量多品種へと進む中で、加工技術だけでなく品質を支える検査体制もブラッシュアップしたのだ。
三代目が進める、挑戦を支える多能工化
服部直樹が小森精機に入社したのは2013年。法律事務所で働いていた異業種からの転身だった。
加工の知識はほとんどなく、入社当初は年下の社員に教わりながら、測定、品質管理、営業を経験していった。
2019年に直樹が三代目社長に就任すると、その直後にコロナ禍が訪れた。 全員が出社できない状況の中で、直樹が取り組んだのが多能工化だ。
先代までは各工程のプロフェッショナルを育てる方針だった。高い技術力を生む一方で、担当者が休むと仕事が止まるという課題もあった。
また、現場には「絶対に失敗してはいけない」という強いプレッシャーもあった。 前工程で多くの時間をかけて加工されてきた製品も、最後の工程でわずかに削りすぎれば、すべてが台無しになってしまう。
そんな緊張感の中で、新しい機械や工程に挑戦するのは簡単ではない。
「心配なら予備を一個作ってもいい。工具が必要なら買えばいい。失敗したら、僕がお客様に説明しに行くから、まずはやってみよう」
直樹はそう声をかけ、現場のプレッシャーを少しでも軽くしようとした。 社員が怖がらずに挑戦できる状態をつくることが、経営者である自分の役割だと考えたのだ。
もし失敗したときは、次に同じ失敗をしないために、現場と一緒に原因を考える。そうした積み重ねによって、社員は少しずつ工程を越えて動くようになっていった。
今では混雑している工程があれば、別の機械や別の担当者で対応できないかを考えられるようになったという。
お客様にとって“一番”の会社へ
コロナ後に直樹が向き合った課題は、現場の多能工化だけではなかった。
営業部の部長と課長が相次いで退職し、さらに定年退職や若手の退職も重なったのだ。
直樹は「自分が全部やらなければ」と抱え込んでいたという。
その時、声をかけてくれたのが経営者仲間だった。「そういう時こそ外に出て、人に相談した方がいい」と促され、同じような経験をした先輩たちの話を聞いた。 そこで直樹は、人に頼ることを学んだ。
「人に頼るっていうことを、本当の意味で勉強させてもらいました」
現在、直樹は社員に対して会社の状況や期待する役割をできるだけ伝えるようにしている。営業利益や損益分岐点など、決算書ベースの数字も開示している。
「隠しても何もならない。腹を割って本気で話さないと、相手も動いてくれない」
そして社員一人ひとりの役割を明確にし、毎朝の1on1ミーティングで確認しているという。
これが、直樹が「自分が全部やる」のではなく「人に頼りながら共に進む」ための形なのだ。
そんな直樹が目指すのは、『一番の会社』になることだ。
「売上や規模で一番になるのは難しいです。でも、顧客にとっての”一番〇〇な会社”にはなれると思うんです」
一番頼れる会社、一番相談しやすい会社、一番挑戦してくれる会社……従業員たちにも、全員がどんな一番になりたいかを考えてもらっているという。
御用聞きからはじまり、危機を越えて少量多品種へ転換してきた小森精機。 そのモノづくりは、これからも人の技能と、人を信じる経営によって磨かれていくだろう。