鉄、アルミから樹脂の加工までを実現したチャレンジ精神。
約半世紀にわたる加工データと仕組み化された品質管理で高い信頼を。
ユタカ精工株式会社 金属部品切削加工、樹脂部品切削加工
- 都道府県
- 神奈川県
- 事業内容
- 金属部品切削加工、樹脂部品切削加工
- 会社名
- ユタカ精工株式会社
- 代表者名
- 豊岡淳
- 所在地
-
〒252-0244
相模原市中央区田名2053-3
- 電話番号
- 042-761-5018
Factory Stories
独立して創業した祖父は仕事が趣味
ユタカ精工は産業機械や食品機械、トラックなど様々な業界の機械部品の旋盤・複合加工をおこなっている。加工できる素材も鉄、アルミ、ステンレス、樹脂など幅広い。
そんなユタカ精工の創業は1979年。創業者は常務取締役・大類寛希の母方の祖父だ。
「高度成長期で仕事も多かったので、祖父は勤めていたヤマダコーポレーションを辞めて独立しました」
現在は、月30社超、年間約100社と取引をしているが、創業からしばらくは、ヤマダコーポレーション一社からの受注で成り立っていたという。
「祖父は仕事が趣味という感じで、楽しんでいるように見えましたね」
二代目社長が一社依存からの脱却を推進
1999年に大類の伯父・豊岡淳が社長に就任したのを機に一社依存からの脱却を図った。
「社長は『一社依存は怖い』と、新たな人脈を築いて、積極的な営業や価格調整などで新規顧客を獲得していきました。そこから少しずつ取引先が増えてきたんです」
そして、新たな取引先の要望に応えられるよう、マシニングセンタなどの新たな設備も増設していったという。
「さらに取引先を増やせるように設備と体制を整えて仕事の間口も広げていったんです」
その積み重ねが一社依存から脱却し、年間約100社との取引を実現させたのだ。
チャレンジする会社
ユタカ精工が数多くの顧客から支持される理由に「チャレンジする姿勢」がある。 たとえ1個でも依頼を引き受け、難しい加工でもお客様の求める技術を追求して仕事の幅を広げていく。
「社長は「お客様に育ててもらった」とよく言っています。難しい案件でも、なんとか形にしてお客様に喜んでもらおうとして技術を伸ばしてきました」
自社の設備や技術、そして協力会社の力も借りてお客様の要望に応えていく姿勢が「ユタカ精工に頼めばなんとかしてくれる」という信頼につながっている。
「うちには他社にはないような専門的な技術はありません。一社一社に対して真摯に対応していることが一番の強みだと思います」
こうした姿勢が、加工素材は鉄から樹脂まで、得意なサイズは直径10mmから200mmまでという対応幅の広さを生み出したのだ。
「業界や加工の幅を広げたのは生存戦略でもあります。うちのような小さな会社は業界の浮き沈みの影響を受けやすいですからね。幅広い仕事を受けることで、その影響を最小限に抑えられます」
品質とノウハウの蓄積
ユタカ精工では、製品の品質保持のため、検査室を開設し、三次元測定器や画像測定器を導入している。
「製造品目がとても多いので検査にものすごく時間がかかるんです。だから精度を高めると同時にスピードアップをするために測定器を導入しました」
そして、測定器で検査した結果は検査表にして納品時に添えるようにしているという。
「かつて不良を出して問題になったことがありました。いつも大丈夫だから、今回も大丈夫だろうという油断が招いたものです。二度と起こさないようにするために、仕組み自体を変えて検査表をつけるようにしたんです」
さらに、検査データの保存とともに、創業から現在に至るまでの加工データや図面もすべてデジタル化して保存したという。
「昔は3,000~4,000枚の紙が山積みになっていたんですよ。それを全部データ化しました」
これにより、いつでも過去のデータを取り出して参照でき、同条件での加工の再現や類似条件での加工のアレンジができるようにしたのだ。
介護職からモノづくりの世界に
大類がユタカ精工に入社したのは5年前のことだ。
当時、工業部会の下部組織に入ると他社の経営者から「会社のことを何も考えていない」、「会社を好きじゃないんじゃないか」、「継ぐべきじゃない」など厳しい言葉をもらったという。
「祖父や伯父の仕事は見ていましたが、どんなものを作っていて、どんな会社に納めているかなどまったく知らなかったんです」
大類はユタカ精工の後継ぎがいないことはわかっていたが、自分の好きな仕事をしたいと考えて、大学卒業後は介護用品の営業職に就いた。一度転職したが、転職先もデイサービスの管理職だったという。
介護業界からモノづくりの世界に飛び込むことを決めたきっかけは、結婚して子どもが生まれたことだった。
「改めて考えたとき、祖父が立ち上げて伯父が受け継ぎ、半世紀近く続いた会社を残していきたいと思ったんです」
経営者になることへの不安もあり、違う道に進んでいたが、もしも会社を継ぐのならば、社長から仕事を学ぶことができるギリギリのタイミングだと感じたという。
「社長から跡を継ぐように言われたことはありません。社長に言われて決めたとしたら、何かあったときにそれを言い訳にしてしまいます。だから社長も、自分からやりたいと言い出すまで待ってくれたんだと思います」
自ら決意し、周囲の叱咤激励も受けて、大類は改めてユタカ精工と向き合うようになった。
ユタカ精工の仕事、お客様、そして社員のことをしっかりと見て、ひたすら考えるようになったという。
工業系出身者がいないモノづくりの現場
ユタカ精工は役員を除く社員8名のうち6割が30代だという。 大類は介護業界からモノづくりの世界に足を踏み入れたが、社員たちも工業系出身者ではない。
「新しく採用するなら、真っさらな状態から教えた方が良いと考えているからです」
経験があることで、ユタカ精工のやり方に馴染めない人もいたからだという。
未経験からのモノづくりでは難しいことも多いだろう。だが、ユタカ精工では「チャレンジして失敗しても責めない」という文化がある。
「失敗しても、どんどんチャレンジして仕事を覚えてもらうというのが社長の考えなんです」
事業承継とモノづくりの未来
5年後を目処に現社長から大類に事業承継をする計画だ。 その中で、ユタカ精工の未来図も描きはじめている。
「社長が進めてきたように、今後もお客様を増やしていって、自社の加工技術を広げたり、協力会社を増やしたりしながら、どんなご依頼でも受けられる体制にしていきたいと思っています」
それは、会社の売上を伸ばすためという面もあるが、大類が一番に考えているのは会社を潰すことなく、今いる社員とこの先入社する社員の生活を守っていきたいという想いからだ。
そのために、導入をはじめたロボットを増やして自動化を進めたいと考えている。 これにより省人化しながらも夜間稼働を実現し、大ロットへの対応も可能になるためだ。
大類が生まれ育った相模原は、かつてモノづくりが盛んな地域だった。 しかし、後継者不足などで町工場が減り、物流倉庫などに置き換わっているという。
「製造業で活気のあった街がさみしくなってきています。モノづくりが盛り上がっていくために我々ができることは、一社一社が売上を伸ばすことしかないと思います」
お客様のために。社員のために。そして製造業の未来のために。ユタカ精工はチャレンジを続けていく。