下町のチカラを結集したネットワーク。
赤いツナギで営業力を、提案力で信頼を、ネットワークでWin-Winを。

株式会社神野製作所 溶接加工・プレス加工

神野武久

都道府県
東京都
事業内容
溶接加工・プレス加工
会社名
株式会社神野製作所
代表者名
神野武久
所在地

〒124-0013

葛飾区東立石4-19-3

電話番号
03-3695-4728
ホームページ

https://www.kanno-jc.com/

Factory Stories

スタートは1回30銭のプレス加工

徳島県の網元で育った神野武久の父親は、1959年の伊勢湾台風でほとんどの船を失ったことを機に上京し、神野製作所を創業した。

「父はかなり苦労をしたようです。プレスの事故で右手の指を4本失いました。そのとき私はまだ1歳でした」

神野は工場に置かれたミカン箱の中で、プレスの音を子守歌代わりに聞いていたという。

「当時は魚を焼く網やブリキのおもちゃなどをプレスしていました。1回ガチャンとプレスして30銭とか50銭とかの時代です」

高校を卒業した神野は、父親の跡を継ぐために修行に出たが、父親から言われたのは、プレス加工ではなく溶接の修行だった。

「父はプレスで指を落としたので、同じ思いを息子にはさせたくなかったんでしょうね」

溶接の奥深さにハマる

幼い頃から「父親の跡を継ぐ」と言われてきた神野は、モノづくりの道に進むことが当たり前で「なりたい」と思うことも「いやだ」と感じることもなかったという。 それでも18歳から溶接を続けてこられたのは溶接が楽しかったからだ。

当時の職人は「見て覚えろ」というやり方だった。

「その辺りにあるクズ鉄を溶接してみろと言われました。後から「これはダメ」「これはお金になる」言われたんですが、当時は何がいけないのかもよくわかりませんでした」

そうして試行錯誤する中で溶接の奥深さを感じるようになった。

「電流の合わせ方、溶接の角度、素材に油がついているかなどいろんなことが影響して仕上がりの見た目が変わるんです。同じ人間が同じ機械を使っても、電流ひとつで変わってしまう。そんなところにハマったんだと思います

神野が溶接の技術を身に付けてから、神野製作所は社長である父親のプレス加工と神野の溶接加工の二本柱で30年ほど業務をおこなっていた。
しかし、父親の急逝によりプレス加工の柱を失ってしまったのだ。

「父が亡くなって社長を継ぎましたが、プレスを知らないままでやってきたのでどうしようと思いました。プレスの外注さんに教わりながらやってみたんですが、うまくいかなかったんです」

そこで神野はプレスを外注に任せて、その分営業に力を入れることにしたという。

売上アップの秘訣は提案力と赤いツナギ

神野が社長を引き継いだ後も8年ほどは個人事業として運営していた。
これは父親が「葛飾区で育ったのだから、葛飾区に税金を納めることで恩を返すべきだ」という考えに基づいたものだった。

しかし売上が大きく伸びたため、税理士とも相談をして法人化したのだという。

「売上が右肩上がりになったのは赤いツナギを着るようになってからですね。浦安の鉄鋼団地を営業で回っていると、「どこに行っても「赤いツナギの社長」と言われるようになりました」

それ以前は油汚れが目立たないよう黒色のツナギやオレンジのツナギを着ていたという。
しかし、覚えてもらうためには目立った方が良いと考えてツナギを赤に変えたのだ。

新しい仕事を得るとき、横のつながりで紹介をもらうことも多い。そんなとき「赤いツナギの社長」というインパクトが良い影響を与えたのだろう。

もちろんツナギを赤にしただけで売上が伸びたわけでもない。
強い印象を残すことは、悪い噂も広まりやすいという面もあるからだ。

売上を伸ばすためには「赤いツナギの社長なら間違いない」という信用が必要なのである。 そして、その信用は実績を積み上げることで生まれる。

「大手のゼネコンが相手であっても、図面を見てこうすればコストを抑えられる、これなら納期が短縮できるといった提案を見積りと一緒に渡したんです。下町のオヤジが何を言ってるんだとなることもありますが、8割方はその提案を重宝して発注してくれますよ

神野の的確な提案を信頼して、新人社員の教育のひとつのように扱われることもあるという。

「部長クラスの人が新人に「神野さんに一度見積りを出して叱られてきなさい」って送り出すらしいんです」

現場で培った経験や知識に基づいたアドバイスは新人社員にとっても大きな学びとなるのだろう。

下町ジョイントネットワーク

神野は『下町ジョイントネットワーク』を組織し、代表としても活動している。
これは下町の工場46社と連携することでコストダウンを実現して、下町の工場にも依頼する企業にもプラスになるように構築された組織だ。

「最初は飲み会重視で、毎月第二金曜日に集まって飲みながら情報交換をしよう、という感じだったんです」

そんな情報交換の中で、売上の低迷に悩む職人たちに「営業に出よう」と呼びかけたが、なかなか重い腰を上げることができなかったのだという。
そこで神野はジョイントの仲間として営業をしていくことを提案したのだ。

たとえば、プレス部品とゴム部品が必要な場合、神野に依頼をすれば下町ジョイントネットワークによって双方の部品を納められる流れになっている。
また、たとえば通常の納品価格がプレス部品100円、ゴム部品100円だった場合、合計200円ではなく199円で提案できるよう、参加工場独自のルールを設定しているのだ。

依頼する企業は、一社に依頼をすれば必要な部品がすべて揃えられる。また、個々に発注するよりもコストを抑えることが可能なのだ。

また、下町工場は互いに仕事を回すことで営業コストを抑えることができる。

「ジョイントができれば、来た依頼を断らなくてよくなるんです。自社で対応できない加工はジョイントのどこかの工場にやってもらえます。仕事というのは逃げていくのが早い。そのために基本的に断らない、そして納期を守るという実績が大事なんです」

下町の職人の未来

神野はこの先の下町の工場に危機感を抱いている。

「下町ジョイントネットワークを作った頃は、工場の2代目3代目が中心だったんです。でもそのメンバーたちが年をとってきました。その上、後継者がいない工場が多いんです」

実際に、跡継ぎがなく廃業を決めた工場もいくつか出ている。
神野は機械や場所の管理を請け負い、歩合制で仕事を続けてもらうようにしたという。

ここまでするのは、神野が職人を好きだからだ。

現代は機械の性能が上がり、プログラムを打つことができれば多くの加工ができるようになっている。
そのために機械を上回る精度を出せる手業を持つ職人はどんどん少なくなっていく。

「仕事なのでもちろんお金は大切です。でも、お金ではないところで動けるのが職人だと思うんです。自分が納得いく仕上がりになるまでやり続けるとか……。会社やお金のためでもあるんですが、一番は自分が好きだからやっていると思うんですよね。そういう職人が減ってしまうのは残念です

ライフワークバランスは大切だが、機械のような働き方は楽しくないのではないだろうか。
モノづくりが好きだから職人になった! そんな人がこれからもっと増えていってほしいと切に思う。