なんでもある鋼材屋から
なんでもできる鋼材屋へ。
人の魅力と柔軟な対応力で
コストだけでは計れない付加価値を。

  • 株式会社伊藤彰産業

  • 各種鋼材販売及び鋼材加工

奥田 みずえ

都道府県
愛知県
事業内容
各種鋼材販売及び鋼材加工
会社名
株式会社伊藤彰産業
代表者名
奥田みずえ
所在地

〒457-0823

名古屋市南区元塩町1丁目26番地

電話番号
052-612-2581
ホームページ

https://itoakirasangyo.co.jp/

Factory Stories

月3万の倉庫兼住居からスタート

1970年2月。伊藤彰浩が勤めていた鋼材会社を辞めて創業したとき、娘の奥田みずえはまだ生後10カ月だったという。
伊藤彰産業は、月3万で借りた倉庫・事務所兼住居の物件からはじまった。

「母は私や妹を背負って仕事をしていました。父の配達についていったこともあります。両親が仕事をしているときの遊び場は部屋の押し入れの中でしたよ」

家族を養うため、毎日夜遅くまで必死に働いていたという。

新しい鋼材屋として、彰浩は他社が嫌がってやらないことを徹底しておこなうことにした。依頼があれば1個から鋼材の注文を受け、短納期を実現するために在庫を持ち、お客様の要望があればどんな素材の鋼材でも取り扱うようにしたのだ。

さらに、サイズ表を作ってお客様に配布し、依頼を出しやすくしたのである。

このスタンスが評価を受け、取り扱い鋼材が増えるのと同時に取引先も増えていった。1988年に法人化したときには、社員数約70名・10工場を運営する規模に成長したのである。

選択と集中で事業の立て直しを図る

奥田みずえが入社したのは1991年。
バブルの崩壊後で、様々な企業の倒産が相次いでいた時期だ。
伊藤彰産業の経営も厳しくなっていた。

「経営の中身をちゃんと見て、無駄なものを排除して、選択と集中で工場も縮小して少人数でも運営ができるように立て直しを図りました

そうして社員が9名となり、事業規模がコンパクトになった。
そんな中、彰浩が目をかけて育てていた若い社員が3名退職してしまったという。

「バブル崩壊でもリーマンショックでも乗り越えてきた父が、その時にはとても肩を落としていると感じたんです。そのとき、社長を継ぎたいと伝えました」

社長となったみずえが取り組んだのが組織の改革だった。

バブル崩壊後、事業を見直し少人数でも運営できる体制はできあがっていた。
売上は下がっていたものの利益がきちんと出る経営状態にできていたのだ。
これを継続し、成長に反転させるために必要なことが組織づくりだったのだ。

社長に従う風土から社員が自ら考えて動く風土へ

創業期から事業を拡大していた時代は、彰浩のパワフルなリーダーシップで会社をけん引してきた。

「そのために、社員は良いことも悪いことも言えない雰囲気になり、自分で考えて動くことができなくなっていたんです」

社員同士のコミュニケーションもほとんどとれていなかったという。
みずえは、このままでは彰浩がいなければ何もできない会社になってしまうという危機感を覚えたのだ。
そうしてみずえは工場をまわって社員に声を掛け、積極的に発言できる機会をつくることで、風土改革を進めていったのである。

伊藤彰産業流組織作り

もう一つ組織作りにおいて意識していることがある。
それは社員に指示をしないことだ。

「父は私が入社した当初、他の社員にはやり方を指示するんですが、なぜか私には一切指示しませんでした。」

ゴールは示すがそこまでの道筋は一切教えない、それが彰浩のスタイルだった。ある時は営業未経験のみずえに営業に行ってこいと指示することもあった。みずえは何をすればいいのかわからなかったが、とにかく人より多く動こうと人の3倍会社に訪問して営業してくることもあった。

「やり方を父に聞くことはしませんでした。ただそのおかげで求められる結果を出すためにどうしたらいいのかという考える力がついたのは確かですね。」

この考え方は今の伊藤彰産業のマネジメントにも生かされている。社員が自ら考えて動く風土が社員を成長させる、それがより会社を成長させるためには必要なのだ。

全国各地に取引先や協力企業を広げる

みずえは営業面の改革もおこなった。

2000年ごろにはホームページを作りました。人が減って営業に手が回らないので、ホームページを活用することにしたんです」

当時はまだ自社のホームページを持つ企業は少なかった。
3ページ制作するために100万円の費用が必要だったため、彰浩から提案を却下されたみずえは、自らホームページ制作の本を片手にホームページを制作したという。

「うちの会社の写真は特に見たくないだろうと思って、サイズ表だけを載せたんです。A4で印刷できるサイズにしました」

鋼材を探しているお客様にとっては、それこそがほしい情報だったのだ。
そうしてホームページを通して全国にお客様や協力会社を広げていくことになった。

その後は、SNSやYouTube動画にも取り組み、現在でもみずえが自らYouTubeを更新しているという。

伊藤彰産業に頼めばなんでもそろう

現在、伊藤彰産業では年間で1000件ほどの取引先があるという。

BtoBの取引だけでなく、DIYなどで鋼材が欲しいという個人のお客様もいる。

これは彰浩が貫いてきた「お客様から頼まれたことは断らない」「できるように考える」という姿勢を受け継いでいるためだ。

様々な種類の鋼材の在庫を持つことはリスクでもある。
しかし、それがあるからこそ「伊藤彰産業に聞けば必要な鋼材が見つかるのではないか?」というイメージにつながっているのだ。

「実際に、10社近く断られてようやくうちに辿り着いたというお客様もいらっしゃいます

実はこのお客様は材料の手配で困っていたのではなく、その後の加工ができないことに困っていた。
伊藤彰産業は豊富な取引先があるからこそ、困難な加工を実現させお客様の求める形状の部品を納めることができるのだ。

断らない精神がお客様との信頼を育てる

一般的に少数のオーダーや取り扱いの少ない鋼材は鋼材屋から敬遠されがちだ。
そのため、電話で「(たった)これだけですか?」と嫌味を言われ、二度と電話をしたくないと漏らすお客様もいらっしゃるという。

伊藤彰産業では「断らない」精神が根付いているため、全ての社員が、お客様からのどんなオーダーにも「良いですよ」と快く応じる。

趣味で使う鋼材を依頼した個人のお客様が、伊藤彰産業の対応を気に入り、勤めている会社の発注も伊藤彰産業に変えたという話もあるという。

また、鋼材を探して困っている知人に「伊藤彰産業に聞いてみたら?」と紹介をしてくれるお客様も多い。

「コストだけで判断されれば大手さんに太刀打ちできません。ウチはお客様の要望に早く的確に応えられる人のチカラと鋼材に付加価値を付けることでお客様からの信頼を得られていると思います」

なんでもそろう会社からなんでもできる会社へ

伊藤彰産業が販売する鋼材の付加価値には加工もある。
大きな加工機を導入したことで、鋼材にさまざまな加工を施すことが可能になったのだ。

そして加工のサンプルを動画にしてYouTubeで公開することで、どのような加工ができるのかをPRしている。

「お客様によって、ほぼ完成した状態で納品してほしいとか、途中まで加工してもらって仕上げは自社でやりたいとかが違うので、お客様の要望に沿って加工をすることで鋼材に付加価値を付けているんです」

伊藤彰産業は、鋼材ならどんな種類でも対応する『なんでもそろう会社』から、お客様のニーズにあわせて加工もおこなう『なんでもできる会社』へと変化しているのだ。

社員が我が子に勧められる会社に

伊藤彰産業の今後について尋ねると、みずえは「社員が自分の子どもを入れたいと思えるような会社にしたい」と語った。

会社がただ仕事をこなすだけの場所ではなく、楽しく成長できる場にしていきたいと考えているのだ。

「趣味や遊び、家族との時間も大切にしてもらえるようにしたいです。そして会社が夢を実現するためのツールになればいいなと思います

創業時に名称を決めるとき、鋼材だけでなくさまざまな事業に広げられるよう「伊藤彰鋼材」ではなく「伊藤彰産業」とした。
社員が自由に考え挑戦できる環境を醸成することで、その命名の通り、鋼材にこだわらず多角経営をしていくことも視野にいれているという。

なんでもできる伊藤彰産業がこの先どのような進化を見せてくれるのか楽しみだ。