木型製造から3Dプリンタへ。
受け継がれるDNAと革新的なチャレンジで
新しいものづくりの扉を開く。

株式会社 ダイモール 鋳造模型・放電加工

大杉 謙太

都道府県
石川県
事業内容
鋳造模型・放電加工
会社名
株式会社 ダイモール
代表者名
大杉 謙太
所在地

〒923-0835

小松市吉竹町三丁目205番地

電話番号
0761-24-0802
ホームページ

https://www.dymol.co.jp/

Factory Stories

株式会社ダイモールについて

『たい焼きからロケットまで』というユニークなキャッチフレーズを掲げる株式会社ダイモールは、幅広い分野の鋳造模型の製造をおこなっている。
現在は営業範囲を全国に広げているが、石川県、富山県を中心に事業を続けてきた。石川や富山は鋳物が盛んな地域だという。 大手建機メーカーである小松製作所が石川県小松市で創業し、現在も石川・富山に3つの工場を構えているため、建機部品の鋳物製造が盛んなのだ。そのため量産に強く、中型から大型の鋳物が多いことが特徴だという。

同時に富山県には伝統工芸の高岡銅器が根付いていたことから雑貨系の鋳物にも強い地域特性がある。
ダイモールはこのような土地柄で鋳造模型のニーズに応え続けてきたため、手のひらサイズから中型までの量産に強い鋳造模型製造を得意としている。

変革していく継承の形

2020年に大杉謙太が三代目社長に就任し、ダイモールは新しいスタート切った。そこには代々受け継がれる精神と新しい挑戦で獲得した技術が息づいている。
ダイモールは謙太の祖父・三千雄が1948年に個人事業として創業した。
三千雄の父は宮大工で三千雄は終戦後工場に勤務していた。父から受け継いだ木工の技術と自身で身に付けた工業の技術を組み合わせて木型の製造をはじめたのだ。

「祖父は手作業で木型を作る職人で、弟子を抱えていました。弟子たちは一人前になったらのれん分けをして独立していきました」
1978年に謙太の父・忠夫が社長を受け継ぐと木型から金型へとシフトチェンジをした。
父は正確なものづくりをストイックに極めたいタイプでした」
より正確な金型を製造するため、北陸で最初に3DCAD、3DCAMを導入した。これにより緻密な金型製造が可能になり、自動車関連やロストワックスなど顧客の幅も広がったのだ。

鋳造模型には材料によって木型、金型、樹脂型があるが、金型と樹脂型がメインになった。 謙太がダイモールに入社したのは2014年だ。それまでは東京でシステムエンジニアをしていたという。
「父には現場に入るよう言われたんですが、会社を継ぐなら経営をわかっていた方が良いと思い経理に入りました。今は営業や経理、人事などをやっています」
木型から金型へと変化してきたダイモールが現在力を入れているのが3Dプリンタによる型の製造だ。
代々事業を継承しつつ、どんどん新しいものを取り入れ変化してきたのである。

新しいことに躊躇なくチャレンジする風土

ダイモールがお客様に選ばれる理由のひとつはチャレンジ精神だ。
三千雄、忠夫、謙太と継承されていく中、それぞれが会社に新しい風を呼び込んできた。その風土は従業員にも根付いている。
「チャレンジすることにまったく躊躇がありません。雑貨系の仕事では図面がないことやデザインを再現してほしいと依頼されることもあるんです。それでもやってみよう!と挑戦してきたことでそんな風土が生まれたのかもしれません」

20年程前、火力発電所で利用するタービンブレードに関する相談があったそうだ。
タービンブレードにはインコネルが使われており非常に堅く切削が難しい。それを放電加工機で削ってほしいという依頼だった。
当時はまだインコネルを放電加工機で削ることがベストだと知られていなかった。まったくの未知の世界だったが、ダイモールでは「理論上は可能だからやってみよう!」と引き受けたという。

また、3Dプリンタ加工に取り組んだのも挑戦だった。最初は3Dプリンタならば無駄なく簡単に加工ができるのではないかと考えた。しかし加工してみると精度が10分の5程度にしかできなかった。通常の加工ならば100分の3に入る。精度レベルが1桁違えば実用は不可能だ。だが諦めることなく実験を繰り返し100分の5の精度まで高めることができた。

受け継がれた打ち合わせ能力

ダイモールの大きな強みに打ち合わせ能力の高さがある。
鋳物業者によって鋳造模型の仕様が微妙に違う。依頼通り製作しても「なんだかうまくいかない」「ちょっと使い勝手が悪い」とあやふやな改善要求がくることがある。
そんなときはとことんお客様に付き合い、どう改善すべきかをじっくりとヒアリングするのだ。

「お客様から『ここまで話を聞いてくれる型屋さんは初めてです』と言われることがあります」
お客様の声をしっかりと聞き取る姿勢は創業時から変わっていないという。
祖父はお客様の話を聞いて本当にほしいものをつくりあげることに長けていたんです
木型から3Dプリンタへとつくるものや技術は変わっても、話を聞く姿勢はDNAのように三千雄から受け継がれ続けている。

DNAを受け継ぐために

代々受け継がれてきた風土を守るためにやっていることもある。
設備投資でどのような機械を導入するかは現場の従業員に考えてもらうことだ。
私がやるのは設備投資をすると決めることだけで、機械の選定は従業員の方にやっていただきます。どんな機械があれば何ができるのか、革新的なものを見つけてきてほしいと思っています」
これは謙太が現場を経験していないからこそできることなのかもしれない。

そしてもう一つは教育だ。
問題の発見能力や課題解決、プロジェクトマネージメント、コミュニケーションの教育に力を入れている。
「お客様とのコミュニケーションの中に新しい挑戦があり、挑戦するから技術力が向上します。だからお客様から相談してみようと思っていただけることが大切なんです」
ダイモールの中に根付き受け継がれているチャレンジ精神とコミュニケーション力は一本の線で繋がっているのだ。

この先のダイモールのチャレンジ

3Dプリンタによる鋳造模型の製造に関してダイモールは特許を申請している。
「技術をきちんと確立して他社に見せるという意味で特許を申請しました。特許料を取ろうとは思っていません」
これにはシステムエンジニアだった謙太の思いがある。
ソフトウエアの世界では『オープンソース』という仕組みがある。開発したものを秘匿するのではなく公開することで多くの人に利用してもらい、普及や成長スピードを高めるのだ。
「風通しを良くすることでさらに新しいアイデアが生まれたり、効率が良くなったりして鋳物業界全体が盛り上がれば良いなと思っています」

そしてもう一つの夢は、職人とデザイナーを結ぶプラットフォームの構築だ。 アイデアを持っている若手のプロダクトデザイナーと技術を持っているが独自製品開発は難しいと考えている職人をマッチングするのだ。
日本の職人の技術やものづくりへのこだわりは世界屈指だと思います。そこにデザインが組み合わされば世界最強のモノが生み出せると思います
それぞれの分野で磨いた技術を合わせること新しいモノを生み出せるようになれば、日本のものづくりに新しい道が開かれるのではないだろうか。