未来を切り拓いてきた挑戦。
大正から令和に受け継がれるチャレンジ精神は未来へと繋がる。

株式会社黒田精機製作所 自動車用ブレーキ、エンジン部品製造

黒田敏裕

都道府県
愛知県
事業内容
自動車用ブレーキ、エンジン部品製造
会社名
株式会社黒田精機製作所
代表者名
黒田敏裕
所在地

〒467-0855

名古屋市瑞穂区桃園町4番地26号

電話番号
052-811-3106
ホームページ

http://kurota.com/

Factory Stories

黒田精機製作所の創成期

黒田精機製作所は、現社長・黒田敏裕の祖父が1925(大正14)年に創業した。 家内工業的な機械部品製造からはじまり、削岩機が石炭鉱山で利用され、満州や朝鮮半島にも輸出されたことで業績を伸ばしたのだ。
しかしエネルギーが石油に転じたことで削岩機の需要が激減した上、第二次世界大戦により経営は急降下した。
転換期は1946(昭和21)年に訪れた。愛知工業(現株式会社アイシン)との取引がはじまり、編機やミシンの部品製造をはじめたのだ。
「このときの編機とミシンは豊田喜一郎さんが設計されたものだと聞いています」

 

さらにトラックのエンジンやブレーキの部品の製造も請け負うようになったが、まだ経営的には非常に苦しく、税金が払えないこともあったという。
「差し押さえになった机を今も残しているんですよ」
追い打ちをかけるように創業者が早逝し、敏裕の父・保彦が弱冠21歳で会社を引き継ぐことになったのだ。

自動車産業の一端を担って成長

戦後、朝鮮戦争の勃発により、黒田精機製作所もトラック部品の大量受注を受けて経営の基盤を築くことができた。日本国内の自動車需要の高まりとともに黒田精機製作所も成長してきたのだ。
現在では、主に乗用車等のブレーキやエンジンの部品を製造している。

 

製造拠点は 、本社工場、岐阜県海津市の岐阜工場、岐阜県養老郡の養老工場がある。さらにタイとメキシコにも100%出資会社を設立した。
取引先も複数の大手自動車メーカーおよび関連企業に広がり、ドイツに本社を置く多国籍企業であるRobert BOSCH GmbH(以下、BOSCH)とも取引している。

ブレーキ部品事業拡大のきっかけ

1995年の超円高をきっかけにトヨタ自動車からブレーキのホイールシリンダーピストン価格を30%低減するというリクエストがあった。ホイールシリンダーピストンの形状を工夫し、冷間鍛造後の工程を削減し、特許を取得した。

 

更に、アルマイト処理の内製化でアルミのブレーキピストンの冷間鍛造からアルマイト処理までの一貫生産体制ができ、目標達成の道筋ができた。この時、系列のアイシンからも独自の技術を磨くために、他流試合を勧められた。それをきっかけにしてアルミのマスターシリンダーピストンの受注に繋がり、日立製作所(現日立Astemo)やBOSCHとの取引に繋がった。

 

当初は要求に応えるのは非常に難しいと感じましたが、周りの協力をいただき開発をすることにより、結果取引先が一気に増えることになりました。
この時、アルマイト処理を内製化したことが海外展開にも繋がっている。

チャレンジ精神

先代の保彦は1963(昭和38)年にドイツ・ピットラー社製の6軸自動盤を導入した。
「ピットラー社の日本輸入1号機でした。新しい設備を導入するのも大きなチャレンジだったと思います

 

1970年頃にはアルミ製品の冷間鍛造にチャレンジをした。
円高の影響で輸出利益が大幅に減少し、コストの削減が必要になった2000年頃には表面処理アルマイトの内製化を図った。新しい理論のアルマイト設備を導入して冷間鍛造から機械加工、研削、アルマイトまで一貫生産できる体制を作ったのだ。

 

これらの果敢なチャレンジが今の黒田精機製作所に繋がっている。
チャレンジ精神が旺盛というよりは、そのときにお客様が求めるものを実現するために必要なチャレンジだったと思います

品質至上

黒田精機製作所の基本理念は『品質至上』だ。
「当社はブレーキ部品を製造しているため、不良によってブレーキ性能に影響を与えると人命に関わります」
品質レベルが特に向上したきっかけはBOSCHと取引がはじまったことだという。

 

「ヨーロッパのスペイン工場へ納品することになったんです」
それまでの納品先は東海圏を中心にした日本国内だった。不良品が出ても自分たちで運んで対応できた。しかしスペインまですぐに行くことはできないため、代わりの製品を航空便で配送することになる。
「不良品が経営に与える影響が大きくて初年度は大赤字でした。なんというところに手を出してしまったんだろうと自分で自分を責めました」

 

しかしこれが品質に対する現場の意識を変えた。
またそれを組織として体系化できるよう、ISO9001や自動車業界に特化したQS9000、TS16949(現在はIATF16949)を取得した。
「マネジメントシステムに合った組織づくりや仕事のやり方に変えることで品質は各段によくなっていきました」

良い品づくり、人づくり 

『良い品づくり、人づくり』は黒田精機製作所の経営理念だ。
『良い品』とは品質はもとより価格や納期、環境問題、技術などを総合して評価される。さらに『良い品』を生み出すための対応力だ。
製造が難しい製品の打診は生産技術部で試行錯誤して形にしていく。

 

「昔はどれくらい難しいのかわからずに引き受けて必死でやっていたイメージです。今はそうしたノウハウを形式知化しています」
そしてそんな『良い品』を生み出すために必要なのが『人づくり』だ。
社員が与えられた役割をきちんと果たし、仕事を通して世の中の役に立つことで幸福に生きていける会社にしたいと敏裕は言う。
そのために外部の教育機関を活用して人間力を高められるような研修を実施している。
「技能教育だけでは根付きません。まずは考え方や人とのかかわり方などの土台が必要だと思っています」 

 

こうした研修は30年ほど前から実施しているという。
社員数が100名ほどになり、工場も3か所に増えたため、敏裕自身でフォローすることが難しくなった。
職人として仕事ができる人材を課長などにしても上手く組織が回らない。部下から苦情が出て、上司となった人材からも「部下をうまく使えなくて夜眠れない」などの声が出たという。

 

「組織で運用していこうとすると『仕事ができる職人』というだけではなく、マネジメント層を育成する必要があると実感したんです」
そうして黒田精機製作所では『人づくり』のための育成に力をいれるようになったのだ。

将来に向けた新しいチャレンジ 

今後、電気自動車が増えていくだろう。それに対して新たな事業領域の開拓や既存製品の世界シェアの拡大といった努力に加え、自社製品の開発にも取り組んでいる。
開発しているのは世界中の工場で使ってもらえるような工具だ。

 

これまでは図面に沿ってどのように製造するかを考えていた。しかし開発では、必要な機能を生み出すためにどんな形がいいのか、どんな図面がいいのかを考えなければいけない。
「今は学びながらやっています。こうした学びやスキルが長期的に会社の底上げになることを期待しています」
こうして黒田精機製作所は未来に向けたチャレンジを続けている。

ものづくりの未来

サプライチェーンの形は変わっていくだろうと敏裕は予想している。
コロナの影響でサプライチェーンの維持の難しさを世界中が経験したからだ。
「安い国から買うのではなく、地域ごとにサプライチェーンを完結させる動きになってくるんじゃないでしょうか」

 

これからは単純に物を作って利益を上げるということではなく、日本の製造業が持つ技術を海外に提供しそこで利益をあげる、ということが主流になって来るのではないか。
「そのためには日本に魅力的な技術が必要です。だからこそ開発を続けなければいけません
そんな日本の競争力の源泉は日本の工場にあるかもしれないと語った。 日本のものづくりの未来に不安を抱く人は多いだろう。
だからこそ黒田精機製作所が長い歴史の中でチャレンジし続けてきたように、苦境を超えていくチャレンジが必要なのかもしれない。