原動力は人の役に立ちたいという気持ち。
できるかできないかではない、
どうやったらできるのかを考える
チャレンジ精神。

株式会社オーディックス ソーラーパネル付き街路灯製造販売

畠山 剛治

都道府県
静岡県
事業内容
ソーラーパネル付き街路灯製造販売
会社名
株式会社オーディックス
代表者名
畠山 剛治
所在地

〒417-0801

富士市大淵 2301-1

電話番号
0545-35-4888
ホームページ

http://www.audix-jpn.com

Factory Stories

株式会社オーディックス

チャレンジ精神の源

祖父の勝三は旧東北大学を卒業し、八木宇田アンテナの研究開発をしていた技術者だった。メーカーで技術部長を務めたのち独立し、当初はかつての日本を象徴する大手電機メーカーと取引をしていたが現実は厳しかったという。
「アンテナやレコードプレーヤーの組み立てをしていましたが、人手が足りないため子供たちが配線を組むなどしてやりくりをしていました。」

そんな大変な苦労をしていた祖父を見ていた父の潤一は、事業拡大のために組み立てだけではなく自社で部品を内製することを決心する。独学で金型の勉強をしてプレス加工に挑戦した。アルミの深絞りの技術を認められMDやデジタルカメラの筐体の製作を任された。
「外観と精度の品質基準はべらぼうに厳しかったです。プレス部品は1万個作って良品率が99%を超える世界ですが、目視できないキズも拡大鏡で検査され2割ははじかれました。」
厳しい世界だったが、経験のない加工に果敢にチャレンジし、金属加工メーカーとしての地位を築いた。

株式会社オーディックス

事業転換

バブルがはじける前までは事業は好調だった。仕事は次から次へと舞い込み、従業員は300名を超え、マレーシアにも工場を構える、一時期は上場の話も舞い込む、そんな会社に成長していった。

ただ父の潤一は常に危機感を抱いていた。
「下請けに未来はない」
メーカーには高い要求を突き付けられ、値上げ交渉をすると中国で作るからと断られる。
技術では勝るのにコストで劣る、人件費の安さで勝負する中国と戦うことに限界を感じていた。

200時間の残業をし、大量の書類に追われ泣きながらハンコをつく毎日。そこから脱却するため、メーカーとして生きるために大胆にも経営方針を変更する。
「売り上げの目途も何もありませんが怖くはありませんでした。周りの経営者からはよくそんなことができるなと、言われることもありましたが。」
大手電機メーカーからの仕事を一切断り工場も集約し、新たなステージへと舵を切った。

株式会社オーディックス

メーカーとしての船出

「これからはソーラーだ」
父の潤一にはピンとくるものがあったのだろう。前例のないことに挑むことを恐れない父に、剛治は社長に指名された。会社の命運を賭け剛治は新規事業の立ち上げを任されることになる。街路灯にソーラーパネルを組み合わせた商品を開発、当初は散々だった。
「街路灯は何ワット?どこに営業すればいいのだろうか?そもそもどうやって設計するの?」
下請け体質だったオーディックスでは商品の開発経験もなければ営業経験もない。電話帳から調べテレアポをする、展示会にも出展したがそう簡単には結果が出ない。

転機は展示会の半年後、興味をもってくれた行政から連絡があった。津波避難タワーに設置したいとの申し出だった。カスタマイズが必要だったが全ての要求に応え製品を納入した。
今までとは異なる業界に飛び込み、その中で必死にお客さまのリクエストに応え続け、メーカーとしての地位を築いていった。

株式会社オーディックス

中国との付き合い方

事業転換するきっかけとなったのは低コストでの製造をする中国には勝てないと思ったから。だが今ではその中国の製造業をうまく活用している。
「こちらが中国を利用するんです。向こうの安い部品を買ってきてそれを組み合わせてもっといいものを日本で作るんです。」

深圳で展示会があると知れば日帰りで視察にいくこともある。気になる工場があればすぐ現地に赴く。
「できないと言われることも多いですが、絶対に諦めません。こちらから加工方法を指導してこちらが意図したものを納入してもらいます。」
加工は中国に任せて、企画・設計を日本でやる。
「今では中国はいいものを安く作れます。でも、お客さまに対するサービスが一流かどうか? どうやって製品をお客さまに提供するのか、というお客さまに寄り添った考えはまだ我々が勝っているのではないかと思っています。」
いまでは中国とうまくタッグを組んでものづくりをしている。

株式会社オーディックス

モデルカーの開発

「車作ってみないか?」
先代の父のふとした言葉がきっかけだった。
ソーラーパネル付き街路灯のメーカーになったオーディックスであったが、今まで培ってきた金属加工の技術をどこかで活用したいという思いがあった。
「バイクがかっこいいとかシンプルにそういう憧れがあるんです。実物はできなくても模型だったらできるかなと。」
このモデルカーにオーディックスのこだわりが詰まっている。ボディはダイキャスト製ではなく深絞りで加工、エンジンルームやギミックも精巧に再現されている。

開発は簡単ではなかったという。
「試作を作ってもボディサイズとシートのサイズがマッチしていなかったとか、あり得ないことが起きました。設計者は経験がないからと言い訳ばかり。全く進みませんでした。」
カッコ良く造らないと意味がない。数ある車の中でマッハGoGoGoのマッハ号と流星号を選んだ。その理由も独特だ。
「ヒーローに対する憧れがありました。マッハ号は日本だけではなくアメリカでも人気があるし、50年経っても色あせない魅力を感じます。」
細部にこだわりを詰め込んだモデルカーはオーディックスの技術力を象徴する製品だ。

株式会社オーディックス

ものづくりの楽しさ

「うちには誇れるような技術なんてないんです。本当にど素人集団が試行錯誤しながらやっているだけ。」
難しい加工ができるわけでもなく、この世にないような驚くべき発明ができるわけではないが、工夫してものを生み出すのがオーディックスの強み。

「オーディックスの技術は使う人の近くに寄り添った技術ではないといけないと常々社員には話をしています。世の中には必ず困っている人がいる。そんな人を助けることができるのであれば製品は何でもいいんじゃないかと思っています。」
原動力は人の役に立ちたいという気持ち。
「いいものがあっても使えなければ意味がない。それを使えるようにするのが我々の技術です。」

刑事コロンボのように、現場をつぶさに観察すると必ず違和感があるという。そこに人々の困りごとの種がある。できるかできないかではない。どうやったらできるのかを考える、そのチャレンジ精神をもって、オーディックスが次にどのような製品を開発するのか楽しみだ。